花見の計画

シェアハウスに住むということは、超・共同体験をすることです。
普段は私達は、共同生活をし、しっかりコミュニケーションを持つというものの、再び自宅へ帰れば、コミュニケーションを断ち、孤独な人間に返っていくものなのです。

しかし、シェアハウスは違います。
生活まで共同意識は続き、他人を意識して生活をしていかなければなりません。
いつも相手のことを気遣う生活って、やっぱりストレスになることもあるかもしれませんけど、そのような生活にも段々と慣れていく自分がいます。

本当の共同体とは、このようなことを言うのかもしれません。
それは、普通の日常生活と比較すれば、超共同生活であって、“超”からいろいろな体験、発想が生まれてくるのです。

私はアウトドア派でないけど

私はアウトドア派の人間ではありません。
春が来て、お花見のシーズンが来て、サクラの下でどんちゃん騒ぎをしている人たちを見て、馬鹿みたい、なんて思ったりしているのです。
サクラを見ると言うのならもう一つ静かに見るという方法があります。

しかし、もう騒がなければならないようなモチベーションで、そこにサクラが咲いてなくても、お酒と、人間と、お弁当があればなんだっていいのです。
そもそもその人たちは、サクラなんて見ちゃいないのです。

だから、サクラが葉桜になっても延々とお花見をまだ続けているではありませんか。
私は、そのような大衆意識に便乗したかのような集団行動が好きではないと思っていたのです。

シェアハウスでお花見集団へ靡く

私は、シェアハウスという集合体に属しているものの、大衆には迎合しない人間です。
そう思いたいものの、超共同体験は、そのような自分の゜孤高”を許してくれないのです。

二度、お花見を断り、人の心までずかずかとあがってくる異国の友だちは、「真弓一緒にお花見へ行こうよ」と、まるで、はじめて誘ったかの感じで言ってきます。
その屈託のなさに私はついついOKと言ってしまったのです。

そして、私達は、ビールや、焼酎、ワイン、日本酒、アルコールを持つだけ持って井の頭公園へと突入して行きました。
私達の集団を、客観的にみれば、いろいろな国の人たちがおり、ゴッタ煮のような感じに見えるかもしれません。

しかし、そのような集団も見回せば結構多く、段々と日本もそのようなフュージョンになって来たのかなという感じがします。
正直言えばこんな感じも悪くはありません。

大衆にもう既に迎合してしまった以上、このような大衆迎合の魅力もしっかり備わっていることを理解することが出来ます。
みんなとゴッタ煮のような感じで、ボロボロに酔い、ふと見上げるサクラは一人で見るサクラとは全然違います。

私は、間違いなく集団の中にいて、サクラをしっかり見上げていたりします。
そしてサクラが一枚はらりと落ちていきます。
そしてあっという間にサクラのシーズンは過ぎ去ってしまうのです。